平等?そんなものは、この世にありません
なんで、アイツばかり!
どうして、俺より仕事ができないのに、あんなに評価が高いんだ!
など、同じように真面目にやっているのにもかかわらず、贔屓にされる人とされない人がいますよね。
- 平等に評価しろ!
- みんな同じように見て欲しい!
なんて思ったりすることもあると思いますが、そうなることは、まずありえません。
平等!?そんなものは幻想です。
同じように接していたとしても、どこかで人によって好き嫌いがでるでしょうし、平等なんて無理な話なんです。
平等じゃないから面白い
例えば、仕事を一生懸命する人と、適当にする人とを、平等だからといって同じように評価していたらどうでしょう。
きっと文句が出ますよね。
真面目にやるだけ無駄だと思う人も、出てくると思います。
真面目に働いて、それなりに成果を出しているのにもかかわらず、まともな評価を得られない人もいれば、大して仕事をしなかったり、できなかったりする人でも、人に取り入るのが上手くて、えこ贔屓される人もいます。
人の評価なんて、そんなものなんです。
ですから、やり方次第なのです。
好かれる人はその人なりに、好かれるように努力していることがほとんどです。
それが良い悪いは別として、特定の人に好かれるように、頑張っている結果なんですよね。
それが周りからすれば、不平等に感じるかもしれませんが、
それもひとつのやり方です。
やり方なんて無数にあって、自分の欲しい結果を得るために、手段を変えたりするのは、普段から誰でもしていることではないでしょうか。
そもそも、全てが平等だったら、頑張る必要がなくなってしまいます。
お客さんですら、ランク付けされています
お客さんは、みんな平等になんていいますが、そんなのは建前だけです。
たくさん買ってくれる人達と、そうでない人と同じなわけがありません。
それを堂々とやっているのが、顧客のランク付けですよね。
シルバー会員、ゴールド会員、プラチナ会員とか色々あって顧客を分類しています。
明らかに平等ではありません。
自分が優位に立ちたい、大事にされたいから、買い物という努力をします。
会社の評価なども、それと同じです。
特別扱いや、贔屓は悪いことではありません。
人それぞれ、戦う土俵が違う
自分では好かれる努力をしていないのに、そういうことをする人を非難したところで、意味がありません。
戦う土俵を変えてきているのですから、それはそれでありですよね。
自分の不得意な、他の人と同じ土俵で戦う必要はないのです。
自分の得意な場所で、自分のルールで戦いましょう。
ポイント
戦う土俵を変えてみる
ゴマすりも立派なやり方
ゴマをすっていると分かっていても、あまり悪い気がしない人も、多いのではないでしょうか。
なるべくなら、ほっとかれるより構って欲しいですし、持ち上げて欲しいはずですから。
仕事が例えできなくても、相手の気持ちを上げてくれる人を、悪く言えば自分に媚びへつらってくる人が、可愛かったりするものです。
平等に評価とか、誰とでも平等に接するなんて不可能なんです。
平等でなくても問題ない
平等といった幻想に振り回されるくらいなら、この世界には、平等って言葉はあっても、存在はしていないと思っていた方が、余計なことでイライラしなくてすみます。
アイツは、あんなことして取り入ってるんなら、俺もそうしようとか、俺には無理だから適当にやっていこうとか、それぞれのやり方があります。
かといって、実力で示してやるって頑張っても、上司より仕事ができてしまうと、煙たがられることもあります。
自分よりできる奴を、可愛がれるくらいの度量を持った人も、そんなにいないですし、世の中は理不尽なことも多いです。
ですが、選択だけは自由ですよね。
だいたいなんでもできる世の中です。
自分で選択すればいい
今の評価に納得できないなら、もっと自分を評価してくれるところに行けばいいですし、理不尽を認めた上で、戦う軸を変えたりして、自分で選択すればいいのです。
平等が悪いということではなく、平等であるのが1番ですが、そうでなくても別に問題ないってことです。
自分の戦う場所を、自由に選択できるのですから。
そもそも人に言う前に、自分が平等にできるのか?
完全に平等にするなら、自分の子供と、隣に住んでいるおじさんとを平等に接するなんてことになってしまいます。
自分の愛する人と、通りすがりのおばさんを同じように接すると言うことです。
そんなこと出来ますか?
きっと無理ですよね。
ですから、人に平等じゃないとか言うのは、お門違いです。
仮に自分が、そうやって誰に対しても、同じ態度で接することができるのであれば別ですけど、自分でできないことを人に求めるのは、どうかと思います。
見た目の時点で、平等はない
世の中は、美男美女に優しく、そうでない人にはそれなりにっていう世の中です。
見た目だけでもそうなるのですから、物事に対する姿勢によって、誰かに気に入られたり、嫌われたりって普通にあります。
会社の評価もそうです。
ただ、その人と馬が合わないだけだったりする場合でも変わりますし、社風や文化が合わないばかりに、それが態度にでてしまい、評価が悪くなることもあると思います。
自分が贔屓にされるように努力をすればいい
好かれたり、贔屓にされたりする人がいて、それに不満を持つなら、なぜそのような評価になっているのか、分析しないといけません。
何か好かれたり、贔屓にされる要素が必ずあるはずですから。
評価をされる人は、そういった努力をしているのかもしれませんよね。
羨んだり妬んだりするくらいなら、誰よりも自分が好かれるように努力すればいいのです。
そういった努力をせずに、ブツブツ言ったところで、この世界では通用しません。
平等ではないけど、そんなに悪い世の中でもない
平等なんてものはこの世にありません。
ですが、そんな悪い世界でもありません。
自分のやり方で、優位な場所を、自由に選択することができます。
誰かの得意な土俵で、まともに戦う必要すらないのです。
自分にあった場所で評価をねらう
ですから、真剣にすることで、誰よりも贔屓にしてもらいたいなら、頑張った分だけ返ってくる、実力だけを見て評価をしてくれるところにいくのです。
人と関わるのが嫌いなら、もくもくと仕事ができて、無表情でいても何の問題もないところや、愛嬌や人懐っこさがうりなら、笑顔が評価されるところで戦うのです。
人に嫌われるより、好かれた方がいいですが、無理をしてよく思われようとするよりも、何より自分の得意なやり方で評価された方がいいですよね。
それなら自分の得意なことで、評価がもらえるところにいけばいいのです。
誰かの得意分野に、挑戦するのも選択のひとつですし、自分が楽に評価される、場所にいくのも悪いことではありません。
不平等だからこそ、そういった選択が可能になります。
結局は、自分勝手な基準で選べばいい
一番いい選択は、人の評価なんてほどほどにして、自分のやりたいことをやるべきです。
わざわざ、誰かの評価を押し付けられる環境に身をおくこともないのですから。
人の目ばかり気にしていると、行動できるものもできなくなる場合があります。
ですが、どうしても誰かに認めて欲しいなら、認めてくれるところにいかなければ、疲れるだけです。
他人や会社の評価基準で戦わなければいけないのですから、欲しい評価が得られないのなら、気に入らないのなら、場所を変えましょう。
でも、最終的には自分の評価は、自分ですることをおすすめします。
あなたの良さはあなたが1番分かっているのですから。