著者:樋口 裕一 188ページ KADOKAWA
差がつく読書で人生変わる
こんな風に思っていたら
- 本の良さが分からず、なかなか1冊を読み終えられない
- 本の読み方がイマイチよく分からない
- 効率よく本を読むにはどうしたらいいだろう?
効率的な本の読み方もですが、「本を読む」ということが、どういうことなのかが、よく理解できてしまう本です。
現代人はあまり本を読まなくなったせいで、本の読み方や選び方で悩んだりしています。
それは読書の仕方を知らないと言うことも、原因だと挙げています。
差をつけるために、本を読みなれない人はどうすればいいのか、本を読み慣れている人でも、もっと効率よく読むにはどうすれば良いのか。
毎日のように本を読み、100冊以上の本を書いている著者が、解説しています。
読書とは
文学作品を読むのだけが読書ではなく、本の最初から最後まで読むことだけが読書ではありません。
実用書を読むのも、一部分だけを読むのも、立派な読書だということです。
読書には大きく分けて二種類あるといいます。
帯にもかかれている「実読」と「楽読」です。
この二つの読書の方法は全く異なります。
「楽読」
何かに役立てたいと思うのではなく、ただ楽しみのためだけに読む読書。
楽読の場合は、情報ではなく知恵であり生きるための糧だったりします。
「実読」
何かをするための、つまりは直接的な効用のための読書。
今すぐに役立てることを目的にしているとは限りませんが、実読の場合は、その情報は実行に移すことが伴います。
実読は発信しなければ意味がなく、楽読は、何かを発信することを目的としていません。
この2つの読書の両方があって、人生は豊かになり差がつくということです。
そして、自分がどんなことに感動してどんなことに興味を持つのかという、自分のこともよくわかるようになるのが、本を読むということです。
著者からすると、実読だけではその人と話していて、底の浅さをどうしても感じてしまうそうです。
人生の幅がなく、深く人間を考えることがないと。
読書で差がつくとは?
読書によって差がつくのは、当然です。
周りが知らないことが分かるようになるのですから。
本書の差がつく読み方を学ぶと、より気楽に読書が出来るようになると思います。
正確に読もうとする読みと、正確でなくても良い読み方
読書の最大の目的は、そこから何かを得る事です。
実読は、内容を役立てて発信すること自体が目的であって、正確に読むことが目的ではないので、情報を利用することの方が重要です。
ですから著者は、正確に読む必要がある読書と、そうでない読書とを分けるべきであると考えています。
理解しなくてよい本は基本的に多読
いちど読むだけで、全て分かろうとすること自体が読書として不自然だと言います。
ですから、たくさん読むことが大事です。
その方がたくさんの本を楽しむことができますし、時間を効率的に使うことができるようになります。
本は自分の求めに応じて好きなように読めば良い。
本は隅から隅まで読む全読が正しいと思っていませんか?
本を買うと、全てを読まなければいけないという、強迫観念に駆られる事もあります。
そのプレッシャーで、興味のなくなった本でも最後まで読まなきゃいけないと言う観念で、次の本に移れなかったりすると著者はいいます。
それも多くの人が、少しの本しか読めなくなっている原因の一つだということです。
その本はよく理解できなかったとしても、何冊か読んでいるうちに、もっとわかるようになるかもしれない。次の本を読むうちに、「あ、前の本であのように書かれていたのは、このことだったのか」と思い当たることがあるだろう。
今読んでいる本は面白くなくても、次の本は面白いかもしれません。
そのために、まずは多読、そして精読だということです。
多読、そして精読へ
まずは正しく読もうとせずに雑に読んでいいと考えを改め、とにかくたくさん読んでいるうちに理解できてくるようになります。
なんでも始めからうまく出来るなんてことはないですよね。
ですから慣れることが大事だと思います。
すべての本は良書である。
どれもがそれぞれの価値を持っている。それを求めている人の手に求めているときに渡れば、それは良書になる。
既に知っている内容だったり、中身の正当性がなかったりと、自分にとって当たり外れがあるのは当然です。
何がよくて何が悪いのかなんて人それぞれで、その読んだ本人しか分からないことです。
ですから、役に立たない、つまらないといった本だったとしても、それは自分にとってだけだということになります。
レビューで判断しない
ブログにも書いていますが、とても共感する部分でした。
そもそも、たくさんの本を読んできた中での感想なのか、全く本を読んでいない人なのかで、意見が違いますからね。
本の批判レビューは、あまり参考にならない気がします。
これから本を読もうとしていて、気になった本を買おうかどうか判断する時に、レビューで判断しない方がいいと思います。
本を読みづらくなったのはなぜ?
なぜ読みづらくなったのかは、いろいろあると思いますが、読書以外の楽しみが増えたことや、忙しい時代になったこと、インターネットによるものなどがあると思います。それに、
小学生が本好きにならない理由のひとつに、学校の精読主義があるのではないかと考えている。細かいことをあれこれ言われるから、本が面白くなくなる。
まさにその通りで、私も本を読むことが苦痛で苦痛で仕方がなかったです。
夏休みの宿題にでる読書感想文なんて、苦行以外のなにものでもなかったことを思い出します。
ですが、大人になって、ようやく読書は楽しいことに気付けました。
ただ、そういった経緯があるので、読もうと思うまでが大変なんですよね。
まじ!?読書は覗き行為で、禁断の世界
著者にとって、楽読の読書と言うのは基本的に覗き行為だといっています。
大人の世界、未知の世界、禁断の世界を覗く行為だと。
読書というのは、覗きの快楽にほかならない。だからわくわくするほど楽しい。どきどきするほど、後ろめたい。
ですから読書の本質は教育と相容れないと思っているのだそうです。
読書は悪徳だと私も思う。好奇心をかきたて、現在に満足せずにもっと違う世界を求めさせるのは、悪徳以外の何ものでもない。現在に満足させることを邪魔し、現在の知識に満足せず、もっと知りたいと考え、現実を否定して想像の世界に遊び、想像を羽ばたかせ、それまで誰も考えたことのない考えを知り、新しい思想に触れる。これが悪徳でなくて、何だろう。
こんなふうに考えたこともなかったので、新しい考え方を得られる内容でした。
自分の知らない世界や、感じたことのない感情、そういった感情の変化を手に入れるために読んでしまうのは分かります。
自分がどんなことに感動してどんなことに興味を持つのかという、自分のことを理解することも「差」になってくるのだと思います。
まとめ
本は人生を変えるということです。
実読、楽読の2つの読書をすることによって、読んだ人の世界観を変えていきます。
「実読」は、即効性を求める、情報を知るための読書だ。だんだんと熟成し、人間の根本までも変えてしまうような読書ではない。だが、「楽読」はじわじわと人間そのものの根本にまで影響を及ぼす。だからこそ、楽しい。
私は、実読でも知らなかったことを理解できるようになり、考え方が変わるので人生が変わると考えていますが、両方することによって、人間性に深みがでて差がつくのだと思います。
読書の仕方にも、さまざまなやり方が書かれています。
多読、精読するために知っておくと、本が効率よく読めるようになりますよ。
追記
読後感をまとめるテクニックとして、型を1つのモデルとして示してくれているので、それを応用するだけで感想が書きやすくなると思います。