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生活ヒント

やればできる!は本当?言葉に隠された意味を考察してみた件

やればできる

 

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お笑い芸人のティモンディ高岸さんが、「やればできる!」なんてことを、よく言っていたりしますけど、本当にやればできるのか?ってことを、考察してみました。

高岸さんの出身高、済美高校の校訓になっているみたいですが、言葉の響きとしてはいい感じですよね。

 

ですが、やればできると言われても、できないことも絶対にあるということは分かり切ったことです。

例えば物理法則に反していることとかですね。

 

ですから、できないことも確かにあるのですが、よく考えてみると、やればできるというのは、あながち間違いではないんですよね。

 

「やればできる」は、使う場面によって正しくなる

 

やればできるという言葉は、どういった時に使うのか。

使う場面を考えてみて欲しいのです。

 

こういうことがやってみたいと思っているんだけど、自分にできるだろうか?

など、何かしらやりたいことがあるけど、やるかどうか迷っていて、踏み出せないでいる人に、そもそも使う言葉ですよね。

 

なんでもかんでも適当に、やればできるなんて言葉は、普通に考えて言いません。

相手や自分の背中を、押して欲しい時に使いますよねってことです。

 

そして、やりたいこと、挑戦してみたいと思っていることは、少なからずどこかで、出来そうだと感じているはずなんです。

だけど、踏み出す自信がないみたいな。

 

そういったことは、一歩踏み出すだけで、意外とやれてしまったりするものなんですよね。

やりたくないことですら、無理やりやらされてやってみると、案外できてしまったりするものですから、やりたいことはなおさらです。

 

ですから、やればできるを使う場面が、そういった人に向けていう言葉なのですから、あながち間違いではないという事になります。

ノミになりたいとか、非現実的なことを言っている人に、やればできるなんていいませんので。

 

それって、する必要ある?

言葉は、それぞれ使う場面があるということです。

例えば、朝にこんばんはとは言いません。

 

やればできるも同じことです。

タイムマシーンを作りたいと言われても、やればできるなんて言葉は使いません。

 

がんばってねーとか、できたらいいねー、あったらいいねーくらいですよね。

そもそも、「やればできる」という言葉は、やってみたいけど踏み出せないでいる人に対して使う言葉だと、先ほどいいました。

 

ですから自分に使う場合も同じで、やりたいと思っていないことに使っても、意味はありません。

誰かの夢ややりたいことを聞いていて、客観的に考えることってあると思います。

 

もし自分だったらと言う意味で、やればできると言われても、それは無理とか、やってもできないと思ってしまったりすることがありますが、そもそも他の人がやりたいと思っていることです。

ですから、それする必要ある?っていうことがまず先になります。

 

自分でやりたいと思わないようなことや、やりたくないことを、やればできるという言葉で、無理やりやったところで、一体何がしたいの…って感じです。

 

やればできるは、あくまでも自分のやりたいことに対して使わないと、意味がありません。

そもそもやろうとしていないんですから、できないと思って当然なんです。

 

やればできるは、うまい言葉

 

ほとんどの人が頭で考えているだけで、やりたいことがあっても、実際にやってみるということをしていません。

ということは、いつまで経っても、できるはずもないですよね。

 

当然です。

はじめから何もしていないんですから。

 

やればできるは、そういったやりたいことを、やった前提の話しで言っている言葉なので、うまいところをついていますよね。

やりたいということをやれていない人は、何もしていないからやれていないだけのことがほとんどです。

 

ですから、それをやった時点で、踏み出した時点で、すでにやればできるという言葉が正しくなってしまいます。

それに何度もいいますが、やりさえすれば、大抵のことはできるようになります。

 

ただ想像上だけで結論を出してしまって、やっていないだけだったりすることが多いだけなので、やってしまえば、あとはどうとでもなるんですよね。

ですから、やればできるという言葉は、うまい言葉ですよね。

 

ポイント

やればという時点で、何かしらやることが前提条件になっています

 

やりたいと思っていることは、やりさえすれば、意外とできてしまったりするものですから、この言葉は間違っていないんですよね。

ですがそれでも、できないって思ってしまい、やらない人もいると思います。

 

その理由も解説しました。

 

やってもできないと思ってしまう理由

 

ポイント

やってもいないことに対する基準が、始めから高すぎるのが原因です。

 

やってもできないと思ってしまうのは、「できる」という言葉に、自分が思う間違った基準を、当てはめて考えているからです。

何か凄いと思えるようなことをしている人を見て、その域に到達することを、できるという基準にしてしまっているから、やってもできないと思ってしまうのです。

 

例えば、男子100mの世界記録は、9秒58となっていますが、そこを基準にしてしまうと、やればできるなんて言われても、無理な話です。

ですが、100mを少しでも速く走れるようにすることはできると思いますし、自分の自己ベストから、0秒01でも早くなれば、9秒58を出した人と、やっていることは同じことになります。

 

100mの自己ベストの更新が目的なんですから、同じ基準になりますよね。

実際に9秒58を目指すのは、その記録に届きそうな人が目指すのであって、そうではない人が、やる前から目指しても意味はありませんってことです。

 

ですから基準が、何年もそれをしてきた人を基準にして、やればできるといったところで、その人にはなれないのですから、はじめから無理な話なんです。

ですから、やってもできないと、思ってしまうのは、基準が間違っているのかもしれません。

 

誰かを目標にするのではなく、あくまで「できる」の部分は、自分がここまでやりたいという基準でいいのです。

できるできないの基準は、自分を中心として考えないと、意味がありません。

 

ポイント

今の自分よりも、明日少しでも成長できているのかどうかが大事です。

比べる基準は、あくまでも昨日の自分です。

 

完璧なんてものも存在しません

これも基準を間違えてしまうことと同じですが、失敗せずに完璧にやろうとしてしまって、できないと考えている場合もあります。

やれば単純に、少なからずできるようにはなるものですが、完璧を求めてしまっていることで、できないと思い込んでしまっているだけかもしれないのです。

 

自分ができたと思える基準に、完璧を求めても、はじめから諦めてしまう原因になります。

ですから6~8割できるようになればいいなくらいで、気楽にやってみた方がいいと思います。

 

それくらい出来るようになれば、大きな成長を遂げているのは確実なのですから、それはできていると思って間違いないです。

何もしなければ、何もないのですから、ちょっとでも成長できるのなら、やってみる価値は十分あります。

 

しかも、やりたいと思っていることなんですから、なおさらです。

 

やってみると自分が思っていたよりも大したことがない

やってみると自分が思っていたよりも大したことがない

 

たとえば、自分のやってみたい分野のことに、詳しい人がいたりすると、すごく知識があって頭がいいなって思ってしまったりしますけど、その分野の本を何冊か読んでみると、案外大したこと言ってなかった…、ということが分かったりするんです。

ですから、凄いと思う人に、凄いですねと言っても、そんなことありませんって言われたりしますよね。

 

本人は謙遜でもなんでもなく、本気でそう思っていたりするのですが、何も知らない人からすると、謙遜しているように感じてしまうんです。

自分には、ここまでの知識を身につけるなんて、できないと思ってしまいます。

 

知っている人からすれば、誰でもちょっと学べば、これくらい分かるようになるってことが分かっているので、そうやって謙遜に思えるようなことを言っているのですが、すごいと思ってしまうのは、ただ自分が知らなかったっていうだけの、単純な話しだったりするのが現実です。

 

本当にすごい事だったのかどうかは、自分で実際にやってみると分かるんですよね。

ですから、すべては、やるかどうかの違いだけなんです。

 

行動したのか、しなかったのか。

ただそれだけです。

 

ですから、やればできるの意味は、もっと単純にとらえた方がいいです。

やってしまえば何かしらの結果が必ず出ます。

 

それが失敗だろうが、なんだろうがです。

成功は、失敗の延長線上にあるんですから、失敗するということは「やれば」の部分に踏み出しているのですから、必ず成長することができます。

 

ちょっとやってみて失敗したからといって、それは、できないとは限らないということです。

やればできるのです。

 

失敗しないという言葉の方が、詐欺

 

やりたいことがあっても、いろいろ難しく考えすぎて、行動しない人がたくさんいます。

自分には無理…とか、俺にできるかどうか分からない…とか、時間がないとか…、そうやって自分自身にやらない言い訳をしていたりするのです。

 

ですがそれは、ただ失敗するのが怖くて、やろうとしていないだけだったりするんですよね。

やればできるの言葉より、失敗しないという言葉の方が、明らかに詐欺です。

 

失敗したから、失敗するから、やればできるという言葉は嘘だ、とはなりません。

失敗をするなんて当たり前なのですから。

 

それに、何度でもいいますが、実際やってみると意外とできるものです。

一歩を踏み出すかどうかだけが、問題になっています。

 

あとは、できるようになるまで、人それぞれ時間がかかるってだけの話しです。

 

やればできるの時間の見積りを間違えている

やればできるの時間の見積りを間違えている

 

早くできるようになりたいのは、みんな同じですが、気が短いのか、ちょっとやっただけで、自分にはできないと結論付ける人もいます。

もしくは、できるようになるまでに時間がかかるから、できないと言っているだけかもしれません。

 

ですから、すぐにできるようにならないからといって、「できない」ではないということです。

やってみたいことなんですから、できるようになるまでやればいいだけの話しなんですよね。

 

すでに経験を何年も積み重ねてきた、できるようになっている人がいると思いますが、その人たちと、すぐに張り合うなんてのも意味がありません。

すぐにできないといけないって、わけでもないのです。

 

何年かかるか分からないけど、絶対にやり通したいって思っているなら、やればできます。

誰かに追いつくために、急ぐ必要はありません。

 

まとめ

 

やればできるを否定する人は、言葉の使い方や、前提を間違っているだけだと思うので、やればできるは、間違いではありません。

自分のやりたいことに対して使う言葉ですから、やりたくないことに対して当てはめても、意味がないということです。

 

自分の基準で、完璧を求めず、気楽に踏み出してみれば、やればできるようになります。

ようは、行動するかどうかだけの問題です。

 

昨日の自分より、今日の自分ができるようになっていればいいのです。

 

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