個性がある、ないで、悩む必要は全くありません。
個性とは、どうでもいいものです
個性とは?
個性=他人と違うこと、特有の性格
↑この言葉の意味を考えると、これって…誰でも当てはまるよね…。
ってことです。
わざわざ人と違うことをして、個性を作り出そうとする人もいますが、
それが、楽しいのであればいいと思いますが、わざわざやりたくもないことをして、一生懸命個性を作り出そうとしなくても、誰でも個性的なんです。
ですから、個性という言葉に、大した意味はありません。
問題は、「個性がある」、「個性がない」は、一体「だれが」決めているんですか?ってことです。
世間一般的な個性とは?
ポイント
どこの誰か知りませんが、勝手に他人を評価して認めた個性が、個性と言われている個性です。
ですから、誰が評価するかによって、個性ってどうとでも変わるんです。
実に、ぼやぁっとした蜃気楼みたいなものなんですよね。
他の人からみて、自分にないものを持っている人を、個性があるよねって言っているだけにすぎないのです。
個性がないって、自分で思って悩んでいたとしても、他の人からみると、「はぁ?何いってんの?すごく個性あるじゃん!」って思われている場合もあるのです。
評価する人によって、誰でも個性が現れてしまう、それが個性なのです。
ですから、そんな個性のあるなしを、気にしても意味はありません。
ただの誉め言葉としては使えますが。
誰かの勝手な評価に煩わされる必要はありません
おまえには個性がない。
なんて言ってくる人もいるかもしれませんが、それはその人の立場だったり、その業界だったりの目線で、評価しているだけの話しです。
「あぁなるほど、この人からみると私は普通で、個性がないんだなぁ」で終わりです。
もしくは逆に、「お前がそれをいうのか。。おれから見たらお前も個性が全くないけどな」って場合もあると思います。
その程度のことなので、個性で思い悩んだりする必要はないのです。
その人に、どうしても認められたいのなら、話しは別ですが、そもそも認められる必要があるのかどうかも疑問です。
その人が思う、これが個性だ!という枠の中に、わざわざ自分を当てはめないといけないのですから。
逆に、自分の個性を消そうとしていません?って感じがします。
個性という名の商品
その人に認められることで、その業界の中では優位に立てるなど、あるかもしれませんが、それはビジネスであって、戦術のひとつです。
個人のもっている個性は関係ありません。
自分の本来の個性ではなく、誰かの評価基準で認めさせるために作った、個性という名の商品です。
それで、お金を稼ぐという目的を達成できるならいいですが、そうでないなら、わざわざ個性的なものを作りだす意味はありません。
他人と違うかどうかは、環境でも変わる
個性的に見える人が、まわりに合わせることもなく、普段から個性(その人にとっては普通)を出しているとします。
そんな人が、まわりに合わせて、個性を出さない人たちの中にいると目立ちますが、個性を出している人たち(その人たちにとっては普通)の中にいると、もはやそれは個性的でもなんでもなく普通です。
まわりが個性を大事にしているような環境なら、きっと周りは個性をだしている人たちが多くなりますよね。
そうなると、個性のある人たちばかりに囲まれるのですから、もはやみんな個性があるようには思えなくなってしまいます。
その逆もあって、まわりが個性があるようにみえる人たちばかりですと、普通にしているだけで、それが周りの個性のある人たちにとっては、個性にみえたりします。
環境で、個性があるないは変わると言うことです。
個性的に思われたいだけなら、自分勝手に生きればいい
個性的だと思われる人は、まわりに合わせず、自分の普通をだしているだけの人だったりします。
まわりに合わせずに、自分のやりたいことをやっているだけなので、その人にとってはそれが普通で、個性ともなんとも思っていなかったりします。
それが、まわりの人達にとっては変わった人だったり、個性的な人に見えてしまうのです。
なぜそうなるのかといいますと、ほとんどの人が周りに合わせて生きているからです。
まわりに合わせて、同調して、本来の自分の考えと違うにもかかわらず、自分の意見を曲げて我慢して、まわりに足並みをそろえる。
それが当然で普通だと思っているから、そうなってしまっているのです。
なぜ自分を押し殺してまで、まわりに合わせてしまうのかといいますと、普段の自分(個性)のままでいると、まわりと一緒にいられなくなるからだと思います。
個性を出す(自分でいる)ということは、まわりと考えが違ってくることもあるので、孤独になりがちだったり、なってしまうと思ってしまっています。
まわりと一緒にいようとすれば、個性をだせないのは当然です。
個性的に思われたいなら、人と違うことをしなければいけないのですから。
個性をだしていないだけ
みんなそれぞれ個性があるのですが、周りと合わせるために、個性を押し殺すなんてことも起こっています。
空気を読んでまわりに合わせるとかですね。
やりたいことやって、浮くことで何か言われるのではないか、ひとりぼっちになってしまうのですはないかって不安もあるかもしれません。
ですから、個性はそれぞれあるのですが、ただ出していないだけの話しなのです。
みんながみんなやりたいようにやってしまうと、収拾つかなくなりそうですが、それはそれでよくないですかって思います。
なんだかんだで、個性だしても、気の合う仲間がいたりするんですよね。
ひとりぼっちって、リア充
ひとりぼっちは、誰の目も気にせず、自分の好きなことができます。
実は、本当のリア充なんです。
周りをみると、人付き合いでまわりに合わせて苦しんで、もがいている人ってたくさんいます。
周りのグループに合わせて、自分のやりたいことを我慢して合わせる。
心の中では、真逆に思っているのに、誰かの意見に同調していたり、やりたくもないことを他人に合わせてやっているのです。
そんなことして、楽しいのでしょうかってことです。
それなら、個性出してひとりぼっちになったところで、問題ないと思うのですが、いかがでしょうか。
他人に依存しすぎていませんか?
誰かと仲良くしてないといけないみたいな。
友達いないといけないみたいな。
それって、なんのために必要なんでしょう、ってことを考えてみるといいかもです。
周りに私は、ぼっちじゃありませんよー。
こんなに友達に囲まれて、リア充ですよーってことを、アピールしたいだけなのでしょうか。
別に楽しくないなら、いなくてもよくないですか。
友達や知り合いがたくさんいる人がすごいみたいな、リア充みたいな。
そんなことはないことに、早く気付いた方がいいです。
そうすれば、もっと広い世界で活躍できると思いますし、自分の時間をもっと大事にできます。
他人との不要な悩みに、煩わされることもありません。
もっと別の悩むべきことがあると思うのです。
ポイント
他人依存をやめると、個性って簡単にだせるようになります。
個性とは別に、特別なことではありません
個性とは、人と違うってことだから、特別だと勘違いしていませんか。
個性は、特別ではなく、ただ違うってだけの話しです。
個性が何もないって人がいますけど、本当に何もないと思っているなら、それも個性だったりします。
誰かに認められるものを、個性といっているような感じですが、そんなことはないのです。
自分で、これは私の個性だと言えば、それは個性です。
自分でも、この部分は周りと比べて変だよなとか、何かしら感じているものがありますよね。
他人には分からない、自分だけが感じていること。
自分の中で、他の人と違うと思うこと。
それが個性なんです。
他人がどうこう評価して、得られるものが個性ではありません。
ですから
個性がある、ないで、悩む必要は全くありません。
ってことです。